タナカ×ナスカラ

栃木県那須烏山市に東京出身の若者が地域おこし協力隊として移住。

「人の話は話半分で聞け!」説を提唱したい

那須烏山からこんにちは。

どうも、タナカです。

 

今日はこんなテーマについて話したいと思います。

 

「人の話は話半分で聞け!」

 

 

 

なぜそう思うようになったのか

こんなひねくれものの僕ですが実は結構素直なのです(笑)

というのも20歳前後のころ自分の将来について悩んでいるとき。

そのころ僕自身のことを心配して各方面の人が色々と助言をくださっていたのです。

それもそのはず、その頃の僕はかなりちゃらんぽらんなやつで今の3倍くらいテキトーな奴だったのです←

 

そんな状況で僕自身も自分についてよく考えるように。

なので普段からもらえる助言を真摯に受け止めるだけでなく

自分からいろんな先輩に助言を求めてお声かけしていきました。

 

「こうしたらいい」「ああしたらいい」「こういうのはやめた方がいい」

などいろんな助言をいただきました。

先輩方は当然色々な経験をされてきてその中から出てくる助言ですから当然すべて正しいのです。

なのでその時のピュアな僕は「確かに!正しいなあ!」と思いながら助言を実行していきます。

 

でも僕の人生は一向によくなりませんでした。

 

よく考えたらわかることだった

「なんでこんなに正しいことを実行しているのに人生が好転しないんだ!」

なんて考えていた僕はあるときに気づきます。

 

「俺の人生に正解なんてないやん」

 

結局そこに尽きると思うんです。

人の正しいは所詮人の解でしかない。

自己啓発本を読みふけった時期もあってああいう本は要約すると

「とにかくやれ」って書いてあるんですよね共通して。

確かに自身の経験に基づいた血の通ったアドバイスは正しい。

これは間違いない。

 

大事なのは

もらったアドバイスを自分の感性に合わせてちゃんと取捨選択できるかどうか。

全部を馬鹿正直に実行していくと自分の軸がぶれます。

簡単にいうと自分が何なのかわからなくなります。(経験談)

 

かといってアドバイスを聞くなというわけではない

この辺のバランス感覚が非常に難しいのですが

自分よがりになってしまうと結局何もできません。

なにより他の人の共感を得にくいので事を成すのは難しいでしょう。

 

僕にアドバイスをくれた先輩方も基本的によかれと思ってやっているし

彼らが経験し苦しかったことを僕らに経験しなくてもいいように言ってくれています。

でもそもそも人間は苦しまないと成長しないのです。

筋トレでもそうですし勉強などもそう。

適切な負荷をかけることで人間は成長します。

苦しまずに成長することはほとんどありません。

そういう意味で楽をしようとしていた僕は

自分の実力不足で世間に跳ね返されていたわけですね。

 

自分の思ったように進めばいい。

たまに自分を客観視するときにアドバイスを聞けばいい。

僕は後輩に対して基本的に咎めることはしないようにしています。

「ええやん」「やったらええやん」というリアクションがほとんどです。

でもこれは嘘ではなく心からそう思っているので出てくる言葉です。

 

自分の思いに基づいて自分の責任で自分の思いを形にする。

形式的な失敗や成功はどうでもよいのです。

自分の思いを形にして検証することが大事なのです。

 

そうして自分の思いを形にして検証した経験というのは

自分の血となり肉となり必ず生きてきます。