自分を変えるたった1つの行動
2017/1/12 更新
那須烏山からこんにちは。
どうも、タナカです。
僕自身、2年置きくらいに自分の方向性をガラッと変える出来事に遭遇しています。
今24歳になりましたが、20歳のころはこのような形で生きていくなんて思いもしませんでした。
人生短いし、短いスパンで色々経験するのもいいんじゃない?ってお話です。
以下、体験談をつづっていきます。
18歳:初めて『働くこと』を知る
僕が初めて働いたのは高校卒業後、親の職場で人が足りないとのことでフルタイムでお手伝いしたお仕事でした。
平日の9時~17時まで、お弁当の容器などを数えて梱包する内職のような仕事で正直単純作業すぎてしんどかったです。
それと並行し、夜はとにかく時給のいい某黒い牛丼屋で働いていました。
平日は9時~17時で内職、18時~23時まで牛丼屋、休日は8時~22時まで牛丼屋という今では考えられないペースです。
それでも僕は21連勤を敢行しました。(途中涙が止まらなくなるなどの意味不明な症状もありましたが)
なぜならこの時の僕にはお金を貯めて一人暮らしをするという明確な目標があったのです。
このときに僕が得た教訓は『やらなきゃいけない環境に自分を放り込めば、なんだかんだ自分はやる』ということです。(相当ブラックな教訓ですね)
この考え方が、この後の僕の人生に大きく影響してきます。
20歳:配膳のバイトを始める。一人でリゾートバイトに突撃する。
ここでも僕は18歳のころに得た教訓を生かし、自分を追い込みます。(笑)
牛丼屋のような単価の低いものよりもホテルなどの単価の高いものに挑戦してみたくなったのです。(単純に時給のこともありました)
出来なさそうなことにどんどんチャレンジし、砕け散っては立ち上がる日々でした。
当時仕事終わりに、知り合いに電話した際に寝ぼけながら披露宴の料理のメニューを独りでに話していたそうです。
相当限界来てますね。(笑)
また、夏場の仕事がない時にも自分が今後取り組まなそうな場所に自分を置くという判断をして、知り合いが一人もいない場所で自ら挑戦することを選びます。
このとき過ごした日々はかなりパワフルなものでした。
あと身を持って体験したのは、若者が集まって寮生活を送った時に出来る特殊なムラ社会のめんどくささです。
基本的に
放っておいてほしいタイプなので僕の予定を逐一誰かが知っているのは非常に苦痛でした。
22歳:配膳の仕事を退職する。新しくパン屋で働く。
僕はついに激務から来る疲労により退職を決意します。
これは僕にとって非常に大きな決断でした。
配膳が収入源であり、家族でもあり、兄弟でもあったからです。
当時、仲のいい友人と遊ぶ以外は常に配膳に関係していたと思います。
そんな居心地のいい場所を立ち去る決意をしたのも、このままでは同じ場所にいることに満足してしまう気がしたからです。
退職後のことは全く決まっていませんでしたが、そういった危機感の方が強かったです。
こうして職場を退職した僕は、しばらく燃え尽きたように何もしなくなります。
それを見かねた知り合いにパン屋の仕事を紹介され、また仕事を始めました。
店長とのフィーリングがあったのもそうですが、自分の見たこともない業界に飛び込むのは新しい挑戦だと思えたからです。
24歳
:新たな挑戦へ
2016年1月から正社員として会計関係のコンサル会社に営業として就職しました。
しかし「社会人として」などの単一化された価値観に違和感を感じて退職。
そして僕は新しい挑戦をすることを決意します。
地域おこし協力隊への挑戦です。
僕はこう考えます。
環境こそが人を変え、成長させていくものだと。
とにかく飛び込んでみることで頭で考えるよりも有益な体験がたくさんできます。
その経験から対応を検討し、課題があればそれを解決していけばいいのです。
僕は走りながら考えるタイプです。
走ってないと死んでしまうのです。(マグロかよ)
自分で見て聞いて経験したことが僕の全てです。
その経験でしか世界を測ることは出来ないからです。
前置きが長くなりましたが、自分を変えるたった1つの方法。
それは環境を変えることです。環境を変える行動を恐れずにすることです。
そうすれば、おのずと以前と違う自分に出会うことが出来ます。